山羽電機工場の山羽虎夫は、工場動力用の蒸気機関や発電機とモーターなどの修理製作を業としていた。 岡山在住の資産家 森房造が1903年開催の大阪第5回内国博覧会で見た送迎用の蒸気バスやガソリン・バスの威力を見て、岡山市内でバス事業を始めるべく、山羽虎夫に製作を依頼した結果、誕生したのが本車である。 そこで神戸の輸入商ニッケル商会の通訳であった実兄の山中鯤太郎を訪ね、ガソリン自動車と蒸気自動車の実物を調べ、その上技師の解説文や図面による指導で設計をしている。 おそらく当時の輸入蒸気自動車はロコモービルの2気筒車であり、石油焚きのフラッシュ・ボイラを使っているので、これを自家制ににするため水管式とし、エンジンもミッド・シップに置き、チェ-ンで後車軸を駆動している。 自家製ボイラエンジンは重く、その上10人乗りバスなのでロコモービルとほぼ同じ車軸やスプリングは強化し、ステアリングはティラー式のものであるが、針金スポークのホイールは良いとして、空気入りタイヤが出来ないのでソリッドゴムとしたが、このタイヤが命取りととなり試走は失敗し、後に車両は分解されている。 |