| 豊川順弥の白揚社でオートモや、アレス号の開発に加わった蒔田鉄司は、日本自動車に移り、JAC二輪や、オート三輪のニューエラーと、くろがねの設計と製作を担当する。1932年に会社は日本内燃機となり、陸軍の指示で岡本自転車、ダイハツ工業、トヨタ自動車などと共に小型四輪起動乗用車の開発戦争に加わる。結果として本車が正式採用となり、95式であるいは98式乗用車として量産に移ることとなる。特色は空冷エンジンで軽量なことと、大径車輪で悪路走行性に勝れている点にある。トヨタ、ダイハツは水冷4気筒でやや重量が重く、シャシー廻りはくろがねとほゞ同じであったが、等速ジョイント等もワイスやツエッパ式をねらったが、工作が難しく、くろがねの簡易十字型に負けている。 |